先日踏み込んだネタバレなしの感想を書いたが、本格的なネタバレをしないと語れない部分が多々ある作品なので、改めてネタバレ全開で感想を書いておく。
当然ながら読んでしまうと作品の面白さは半減どころではなくなってしまうので、今後読むつもりがあるのならスルーをオススメする。
日本人ジョージの世界=36巡後の世界
物語中盤、火星に集まったカーズとの邂逅時に判明する事実。
「ジョージ・ジョースター」という同姓同名のキャラクターが存在する時点で「SBRやジョジョリオンのようなパラレル設定なんだろうな」というということは予想が付くが、36+1回も繰り返していたとはわからなかった。36という数字はDIOが遺した「天国へ行く方法」にある「三十六の魂」からきており、「三十六の魂」とは「宇宙が巡る度に蓄積された36体分のカーズ」を指すと解釈されている。
日本人ジョージの世界の大陸がいびつなのは宇宙の繰り返しによる「ひずみ」の影響。日本だけほぼそのままの形で残っているのは、特異点が存在する影響だろうか?
カーズ様のご帰還
カーズが再び地球に舞い戻るくだりは恐らく作品中もっともテンションが上がるシーンだろう。
この作品を「許せる」か「許せない」かの境目は、”妙にいい人”なカーズ先輩(笑)をどう捉えるかにかかっているのではないだろうか。本編でのカーズはリサリサを人質に取ったり、影武者を利用したりと「勝てばよかろう」な卑劣なキャラクターとして描かれていた。
ただ、それは最終決戦時の話で、それまではDQNの運転する車に轢かれそうな子犬を助けたり、ワムウの無礼を赦したりとある種の「優しさ」が垣間見られるシーンもあったので、自分は「いい人カーズ」を比較的すんなり受け入れられた。そもそも柱の男は別に世界征服を企んでいるわけでもないので単純に「悪」と断じることは出来ない。同胞を皆殺しにしたことについては本作では「向上心のなさが許せなかった」という解釈が行われている。
宇宙を漂うカーズが”繰り返す世界”でどうなっているのかはファンなら誰しも一度は考えたことだろうし、何より「かつての敵が味方に」というのは少年漫画のお約束なので、自分は肯定派だ。
ちなみに本作で一番萌えたカーズ様は赤子ジョセフをしげしげと眺めて「ここで殺したら歴史がどうなるかわからないから手は出さない」と言うシーン。このツンデレめ!
聖人の遺体=DIO
『スティール・ボール・ラン』に登場した重要アイテム「聖人の遺体」の「聖人」が何者なのかは、結局本編でハッキリと明言されることはなかった。ジョニィは「キリストではないか」と考えていたものの、それが正しいかどうかはあえてぼかされている。
本作では聖人の遺体は実はバラバラになったDIOだったとされており、それを受けて大統領が「そんなものを崇拝していたのか」とショックに打ちひしがれる描写がある。カーズのキャラと併せ、本作を楽しめるか否かの「踏み絵」に値する斬新な設定だ。
大統領といえば、彼がD4Uで作り出す「パラレルワールド」は「宇宙の繰り返し」とはまた別個の並列世界として描かれていて、どうやら本編とその延長線上の世界を「本物」、それ以外の世界を「偽物」と分類しているようだ。本編でも聖人の遺体がある世界を「基本の世界」と称していたが、それと同じ解釈なのだろう。
これらの描写は結構ややこしいので、終盤は混乱してくる。大統領もいっぱい出てくるし(笑)。
三部DIO=偽者
よく「三部に出てくるDIOはなんか違う」と言われることがある。最終的に負けてしまうというのもあるが、ぶっちゃけあまり強そうに見えないし、性格的にも「典型的な悪の親玉」を地でいっているように感じる。これについては『OVER HEAVEN』の時にも度々引き合いに出されていた。
それを受けて、本作では「三部のDIOは”出がらし”で、真のDIOは別にいて生きながらえていましたのよーん」という大胆な解釈が展開されている。ちなみに聖人の遺体となるDIOはそちらの”真のDIO”だ。
これも評価が二分する要因ではないだろうか。何せこの設定を受け入れると本編で承太郎が倒したのはニセモノで、小説『OVER HEAVEN』はそのニセモノが書いた日記ということになってしまうのだから(笑)。
『OVER HEAVEN』といえば、第一部ラストで爆発する船から脱出するディオとエリナのくだりが本作でも描かれているが、『OVER HEAVEN』でのそれとは顛末にかなりの乖離が見られる。それについては『OVER HEAVEN』のDIOが細かいことを忘れていた、とも解釈出来るが、フーゴの後日談が複数存在するように、あまりそのあたりは厳密に追求しなくても(しないほうが)いいのかもしれない。
天国へ行く方法
カーズの項でも少し触れたが、本作ではDIOの「天国へ行く方法」に記されている十四の言葉が全て解明される。かなりこじつけっぽいものも多いが(笑)、『OVER HEAVEN』ではそのあたりが深く掘り下げられずスッキリしなかったので、しっかりと答えを示しただけでも評価したい。
動く杜王町
ある意味、本作でもっとも突拍子もないのは「杜王町が日本列島から分離、脚を生やして海を移動し始める」という設定だろう。最終的にはそれが「天国へ行く方法」に出てくる「カブト虫」(のうちの1匹)ということになるのだが、流石に無茶苦茶すぎて予想できなかった(笑)。
同じようにパッショーネ・ファミリー(36巡後バージョン)のいる「ムーロムーロ島」も動く島と化して杜王町と激突する(物理的な意味で)。この混乱に乗じて作中では吉良吉影が登場しているが、あまりにもさりげないので気付かなかった。こういうのもミスリードというのだろうか(笑)。
ところでこの騒動で暗躍していたチョコラータやセッコはその後どうなったのだろう?火星編の裏あたりでブチャラティらに粛正されたんだろうか。
36巡後の面々
本編「スティール・ボール・ラン」に出てきた様々なキャラクター同様、本作には「本編に登場するキャラクターと良く似た別人」が多数登場する。岸辺露伴やブチャラティチームのような全くの同姓同名から、「虹村不可思議&無量大数」「広瀬康司」のような微妙に違う名前のキャラクターまで、さまざまだ。
そして最大の特徴ともいえるのは「スタンドはほとんどが別物」という点だろう。ヘブンズ・ドアーやゴールド・エクスペリエンス(レクイエム)、キラークイーンなど一部の例外を除けば残りのスタンドは「オリジナルと似ているが違うもの」になっている。たとえばナランチャが使うのは「Uボート」という潜水艦型のスタンドで、兵器というモチーフや射撃による攻撃方法が「エアロスミス」と共通している。
ちなみにパッショーネ・ファミリーは既にジョルノがボスということになっていて、ドッピオがディアボロとは完全に独立した一個人として存在し、「物体を電話にする」スタンドを使用する。ドッピオがディアボロと別人というのは「ディアボロと人格を共有しているのはジョルノ」という真実のミスリードになっている。流石にわかりやす過ぎるし、ジョルノの扱いについてはちょっとイメージ崩れちゃうなぁと感じたが……。
「どうして本体・スタンドともにそのままのキャラクターがいるのか」という点については「それらのキャラはエンポリオのように生き残ったまま宇宙を一巡したから」という解釈が出来る。
実際、時が加速した世界で露伴先生は普通に仕事をしていたし、ジョルノについては「GEレクイエムを自身に使用して死を無効化し、時空を越えた」と本作で当人が言っている。本編では自分の能力を把握していなかったので矛盾があるが、何らかの方法で気付いたのだろう。
ディアボロがキング・クリムゾンを使えるのはまさしく”死んでいない”から(ドッピオとしての人格は”死んだ”ので生まれ変わった)。吉良の場合はデッドマンズQが関連していそうだが、恐らく本編(ジョジョリオン)のほうで今後詳しい事情が語られると思うので断言は避けておく。
生きていたジョージ
本編でジョージ・ジョースターが「ゾンビに殺された」と断言されている時点で大半の読者は本作を「ジョージが死ぬまでの軌跡を描いた物語なんだろうな」と想像していたと思う……が実際にはご覧の有様なわけで(笑)。
カーズ様がスタンド能力を「覚えた」とか言って使い出し、アルティメットカーズとアルティメットDIOのドリームマッチが開催されたあたりから薄々感じてはいたが、最終的にジョージ・ジョースターは死なない。「スティール・ボール・ラン」の世界で生きていたとさ、メデタシメデタシ……という結末で物語は幕を閉じる。
そもそも本編では死ぬ瞬間が明確に描写されたわけではないし、ジョセフだって一回死んだと思われて葬式まで挙げられていたので「実は生きてました」と言われてもそれほど違和感はないのだが、この作品を「シリアス物」と考えていた人にとってはあまりにもふざけすぎた結末と思うだろう。
何せ……
生きていたジョナサン
ジョナサンまで生き返ってしまうのだから(笑)。「ジョナサンの首がエリナによって保管されている」という時点で「えっ」と思ったが、最後は「聖人の遺体」と合体してアルティメットジョナサンとしてスティール・ボール・ランの世界で復活を遂げる。「聖人の遺体=DIO」ということは、必然的に「=ジョナサン」でもあるわけだ。
これを原作への冒涜と感じるかどうかも人それぞれだろう。これを「公式」として組み込むと当然ながらSBRの後日談でもあるジョジョリオンに繋がらなくなってしまうので、さすがにやりすぎという意見も理解出来る。ただ前述の通りスピンオフはあくまでもスピンオフなので、個人的にはそれほど気にしていない。むしろ「本編の流れとは別」ということがハッキリしているのでかえって潔い気もする。
ジョニィとジョナサンが共存する世界でどんな歴史が紡がれるのか、気になるところではあるし。
救世主カーズ&吉良
吉良吉影が使うキラークイーンの能力「バイツァ・ダスト」には一時間時を戻す、という効果がある。本編では時を戻す効果は「目的」ではなくあくまでも「手段」に過ぎなかったわけだが、本作ではそれを「目的」としてバイツァ・ダストを発動させる。
具体的には吉良本人にバイツァ・ダストを取り付け、カーズが吉良を延々追い詰める(正確にはキラークイーンを支配する)ことで爆発を繰り返し、宇宙を一巡後まで巻き戻すという離れ業をやってのけている。ジョージやジョナサンがSBRの世界に辿り着いたのはこれを行ったためだ。
これはカーズが爆風を物ともしない&不老不死であることを前提としており、カーズの自己犠牲精神が明確に描かれている。なんでカーズがそこまでしてくれるのか謎といえば謎だが、本作を読む限りでは日本人ジョージらとの交流を通じ、人間の持つ勇気や向上心に対して「尊敬」に近い念を抱いたのが理由のひとつのようだ。日本人ジョージが「もらわれっ子」で家族の描写が希薄なこともあり、本作のカーズには父性を感じた。ちなみに「天国へ行く方法」のひとつ「天使」は本作ではカーズを示している。
なお、吉良が追い詰められる際、キラークイーンが吉良の命令に背いてカーズに従うという描写が見られる。その際に語られた「吉良がキラークイーンの力に嫉妬している」という事実は斬新な解釈だと思う。もっとも、それはあくまでも「36巡後の吉良」がそうなのであって、オリジナル(最初の世界)の吉良もそう思っているのかは定かではないが。
最後に
これまで書いてきた内容からも明らかだと思うが、本作はかなり大胆な設定が用いられているので受け入れられない人は絶対に受け入れられないだろう。事実、Amazonのレビューでも「これは酷い」「原作ぶち壊し」と酷評する声が散見される。その中には舞城氏の別作品と比較しての批評も見られるが、自分はそちらについては全く知識がないので語りようがない。今回「九十九十九」や「ビヨンド」について触れなかったのもそのためだ。
ただ自分は昔から『スーパーロボット大戦』という似たようなスタンスのお祭りゲームに慣れ親しんでいるし、「面白ければいいじゃん、漫画なんだから」と思う人間なので本作は特に問題無く楽しめた。とはいえ、否定的な意見も理解は出来る。「似たような別人」がたくさん出てくるという世界観は『仮面ライダーディケイド』を彷彿とさせるが、あれもあれで否定的な意見が多かったわけで(設定以外の部分にも問題が多かったが)。
とにかくネタバレなしの感想にも書いたとおり「全てを許容出来る人」でないと楽しめないので、ジョジョの世界観をあまり壊されたくない……というのであればあえて読まないのが賢明かもしれない。逆に「細かいことは気にしない、楽しければいい」というのなら、文句ナシにオススメだ。
個人的には肯定するにしろ否定するにしろ、話のネタにはなるので一回読んでおいて損はないとは思う。
舞城 王太郎,荒木 飛呂彦
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このネタバレ感想のお陰でお多くの西洋人ジョジョファンが小説の(驚く)内容を分かりました。
ブラジルからよろしく!!
PS:私はツイターでこの感想の質問をした人です。^^