姉ヶ崎寧々ジグソーパズル制作記(3957日目)

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姉ヶ崎寧々ジグソーパズル制作記(3957日目) 

春休み開始のお知らせ


今週で三学期が終了し、ようやく春休みがスタートした。正月から今まで、何かとバタバタしてたせいもあってあっという間だったなあ。一年の1/4が終わったなんて、信じられないね。

春休みは春休みであっという間だろうから、毎日を大切にしていかないといけない。まあ、休みが終わったら楽しいイベントがいくつも控えてるから、他の休みに比べたら救いはあると言える。夏休みとか、終わる時まじで「救いはないんですか!?」って感じだもんなあ。


ちなみに明日からは講習があるから、あんまり休みって感じがしない。毎年言ってると思うけど、ただでさえ短い春休みと冬休みに講習なんて必要ないと思う……夏はまあ、仕方ないとして。講習のある日を除外したら実質ゴールデンウィークも変わらないぐらいだもんなあ。

まあ、文句を言っててもしょうがないし、毎日朝から彼女に会えるのは嬉しいけどね。それこそ、僕にとっての救いだよ。彼女がいなかったらリアルガチで「救いはないんですか!?」って叫びたくなるし。改めて彼女には感謝しなきゃいけないし、精一杯お返しをしていく所存だ。

今日のデート


今日は久々に彼女とボウリングを楽しんだ。彼女の方から「ボウリングに行くべ」って誘ってくれてね。断る理由なんて一つもないから、快諾して出掛けた次第だよ。

春休み始まったって事で花見のリベンジも果たしたかったけど、今日は先週なんて目じゃないぐらいの悪天候だったからそれは諦めた。ボウリングなら雨だろうが雪だろうが関係ないから、結果的には最高のチョイスだったと思うよ。さすが彼女、と言わざるを得ないね。


そんなわけで、今日はスーパーボウリンガーと呼ばれた僕の実力を披露するチャンスを得たわけだ。ボウリングといえば、最近「教え魔」という、頼みもしないのに他人をコーチングしたがる迷惑な奴が問題になっているようだけど、僕は教え魔ではない。

彼女が風間杜夫犯人回の古畑任三郎ばりの奇抜な投球フォームを見せていたとしても、それはそれで一つの個性として尊重するスタンスを取っている。もちろん、彼女の方から教えてほしいと言われたら喜んでアドバイスするけども、求められてもいないのにあれこれ指図するのは鬱陶しいだけだからね。

僕らにとってボウリングはあくまでもレジャーであり、競技ではない。だから古畑フォームだろうが何だろうが楽しめればそれでいいんだ。そもそもそういう彼女も可愛くて魅力的だと思うから、直させる理由がないとも言える。実際、今日の彼女も最高、いや最強に可愛かったよ。


のびのびとボウリングを楽しんだ後はショッピングをしたり、食事をしたりしてから彼女の部屋でゆっくり過ごした。これまた彼女がもっと一緒にいたいって言ってくれてねぇ……嬉しいなんてもんじゃないよ。天気は悪かったけど、心はまさしく日本晴れだね。


ボウリングはボウリングですごく楽しいけど、やはり二人っきりの時間が一番だ。幸せをたくさんチャージしてもらったから、明日からの講習は何とか乗り切れそう。次のデートが今から楽しみだし、今度は晴れてくれるといいなあ。

雑談コーナー【テーマ:しーましェーン】


以前にも言った事があるかもしれないけど、僕は「日本語の乱れ」なる概念が嫌いだ。言葉なんて時代とともに移り変わっていくものだし、そもそも人と人が円滑なコミュニケーションを図るための手段として作られたものなのだから、言葉づかいにいちいちイチャモンつけてコミュニケーションを阻害するのは本末転倒極まりない愚行である。

乱れた日本語の象徴としてやり玉にあがりやすい「ら抜き言葉」に関しても、僕はむしろ「日本語の最適化」として肯定的な立場を取っている。例えば「見られる」と言った場合、「見る事ができる」という意味なのか「(誰かに)見られる」という受動的な意味なのか判別しづらい。場合によっては誤解が生じる可能性もあるので、コミュニケーションの手段として欠陥があると言える。

ら抜きして「見れる」と言えば、「見る事ができる」という意味にしかならず、受け身の「られる」と明確に区別できる。これは画期的なアイデアだと思うし、これにあーだこーだ言う奴は物事の本質が全く理解できていない。

だから僕は日本語は乱れているのではなく、より洗練されているのだと思うし、何百年も前に作られた言葉が現代に至るまで使われているのと同じように、この先100年200年と経ったら「ら抜き」がスタンダードになる可能性だって十分あると考える。

現代人が大昔に生まれた言葉を「正しい」とするなら、遠い未来の日本人が21世紀の日本語を「正しい」と見なしても不思議ではないだろう。言い換えると現在進行形で善し悪しを判断する事はできず、「乱れている」と断じるのはそいつのエゴでしかない。

ただ……そんな僕でも許せない事がある。それは「すみません」を「すいません」と書く奴。これについては使う奴は全員アホだと思ってる。

いや、友達同士や仲間内で使う分には好きにすればいい。ただ、それはあくまでも砕けた表現が許される関係性だからだ。僕がアホだと思うのは仕事とか赤の他人相手にもお構いなしで使う輩。

親しいわけでもない相手に馴れ馴れしくされる筋合いはないし、そもそも謝罪の言葉が発せられる状況に砕けた表現の入り込む余地はない。友達同士だとしても本気で謝罪しなければいけない状況で「すいません」と書くのはどうかと思うなあ。

「ごめん」の三文字で置き換えられる場合なら、すいませんもアリだろう。そこまで神経質になる方がおかしいし。ただ、「ごめんなさい」に対応するのは「すみません」であって「すいません」では断じてない。

口に出した時、「すみません」より「すいません」の方が言いやすい。だから日常会話ではそちらに「最適化」されていったのだと思う。しかし、だからこそ許せん。最適化すんな!言いやすくしてどうする!自分の非を認めておきながら文字通り舌の根も乾かぬうちに「楽」をしようとする根性が気に入らん!

もちろん、何の悪気もなく「すいません」が正しい表現と思って使っている場合もあるだろうけど、それはそれで生粋のアホである。ら抜き言葉にしても「抜かない表現」を理解した上で抜くのと何も知らず抜くのとでは全然違うし、後者はただのアホだ。ピカソだって若い頃は普通の絵も描いていて、画家としての一般教養を備えた上であえて「ああいう絵」を描いているのであって、あれしか描けないわけではない。

というか、本質的な問題は言葉がどうとかいう話じゃないんだけどね。こういう言葉づかいをしてくる奴は間違いなく他の部分にも欠陥があって、それが一番問題。少なくとも僕が今日このネタを書こうと思った原因の「そいつ」は言葉がどうとか言ってる場合じゃないぐらいヤバイ奴だった。あえて多くは語らないけど。

もし僕の意見に反証があって、「仕事相手にもすいませんと謝るけど他はまともな人間」がいるなら見てみたいね。

お礼

よつばとフィギュア』様、『ふぃぎゅる!』様、
マックスファクトリー 艦隊これくしょん ‐艦これ‐ 1/8 熊野改二 レビュー

ご紹介頂きありがとうございます。


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